免許返納は果たして”良いこと”なのか?

ここ数年、「高齢者にいかに免許を返納させるか」の議論が盛んだ。盛んと言う事は、それがスンナリと言っていないと言う事だ。それはつまり、返さない高齢者が多いと言う事だ。では、どうしたら良いのか、それを以下、考察したい。

 

1.「善と悪」は時代の空気で変わる

世の中には「良いこと」と「悪いこと」があって前者が増え、後者が減れば世の中はもっと良くなると言うのが皆の願いと言って良いだろう。それ自体は間違ってない。そうやって人類は進歩していく”べき”なのだ。

だが、「皆が良いと思ってる事」が「本当に良い事」なのか、それとも「多分、イイコト!」なのかはしばしば見分けがつかない。時には歴史の審判を得ないと人類は正解が分からなかったりする。例えば、中世欧州の魔女狩りなんかは当時は人々の多数派が「本当に良い事」だと思ってやっていたのだろう。ナチスドイツのユダヤ人・ジプシーへの迫害もそうだろうと思う。

人々は時代の空気の中で生きている、流行に流され、雰囲気に合わせて賛同し、そしてその流行や雰囲気が変われば異口同音に過去を批判する。日本だけではない、アメリカだってそうだ。年寄りだけでない、若い人だってそうだ。子供だってそうだ。先日、僕はアメリカ育ちの若い人と話した時にそれを感じた。空気に支配される社会は日本だけでなかった。ヒカキンが宣伝すればコンビニのお菓子を子供がねだり、親が買い与える。子供が色に染まってなくて純粋無垢という事は単なる幻想だ。

最初に僕は「人類は進歩する”べき”」と書いた。それは実際は異なるからだ。ただ、ある一時点で間違った判断をして後退をしても、それを反省して前進して、その反復を繰り返して人類はおそらく進歩して行く。しかし、今この瞬間が進歩と後退のどの段階にいるかは、おそらく誰にも分からない。だから、僕達は日々話し合う必要があるのだ。面倒くさいプロセスではあるのだが、これが大事だ。

少し、前置きが長くなってしまったが、これからタイトルの件について書きたいと思う。

まず、以下三つほどデータを提示したい。

 

2.データから見る事故率と事故件数

1. 年齢別事故件数

資料1P.17にある「原付以上運転者(第1当事者)の年齢層別免許保有者10万人当たり交通事故の推移」を見てほしい。

もう、散々にネットで出ているので、皆さんご存知だとは思うが、平成29年のデータで一番事故率が高いのは10代と20代前半だ。

2. 年齢別死亡事故

これについては、よく反論されるのは「確かに若い人の方が事故率は高いが、重大事故は高齢者の方が率として高い」というものである。これについてはその通りだ。

資料2の「3.高齢運転者による交通死亡事故の特徴(1)高齢運転者による死亡事故の発生状況」を見てほしい。平成28年死者事故の半数以上が75歳以上の高齢者によるものだ。

3. 事故率の推移

以上2.を見ると確かに「高齢者の免許返納」はリーズナブルに感じる。では、ここで、過去との比較をしたいと思う。

再び、資料1.P.1を見てほしい。全体の事故件数は明らかに右肩下りだ。ところで、皆さんは「交通戦争」という言葉をご存知だろうか? これは第二次世界大戦後、交通事故による死者が日露戦争の死者を上回る勢いで増加した為に付けられた名称だが、その後の第二次交通戦争の1988年には交通事故による年間死者数は1万人を超えている。尚、2016年の交通事故死者数は3904人だ。

これについては警察庁の資料でさえも「平成28年の交通事故死者数は3,904人(前年比-213人,-5.2%)で,昭和24年以来67年ぶりに4千人を下回った。人口10万人当たり死者数は,高齢者を含め全年齢層で減少傾向にあるものの,高齢者人口自体が増加しているため,死者全体のうち高齢者の占める割合は上昇傾向にあり,平成28年は過去最高の54.8%となった(第3図)。」と認識している(資料2 (1)高齢歩行者等の死亡事故の発生状況)。

また、事故率に話を戻せば、平成29年の85歳以上事故率は平成19年時点のどの世代層よりも低いのだ(資料1.P17)。

 

(参考)

資料1. 警察庁交通局

平成28年中の交通事故の発生件数

https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/H29zennjiko.pdf

資料2. 内閣府 特集 「高齢者に係る交通事故防止」

https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h29kou_haku/gaiyo/features/feature01.html

 

3. 事故はあっても良いのか?

ここで想定しうる反論としては、「事故の悲劇と失われる命を考えれば、事故は一件でも起こらない事が望ましい」というものだ。

もちろん、それはその通りだ。しかし、人類がモータリゼーションを受け入れたという事は便利さと事故を天秤にかけて前者を選んだという事だ。交通事故を完全に無くすには車を全部無くせという極論に走るしかない。だが、それでは物流も成り立たないし、人々の生活も立ち行かない。つまり、「事故はあっても良いのか?」という問いには、「それを人類は選んだ」としか答えようがないんだ。

そうすると、次にあなたはこう言うと思う。「減らす努力をしなくても良いのか?」、もちろん、そうだ。減らす努力は常に必要だ。だが、方法論が高齢者を狙い撃ちにして、免許返納を迫るものが相応しいかといえば僕はそれは違うと思う。

既に見たように今の高齢者は10年前の若者より事故率が低い。「自信がある人ほど事故を起こしやすい」というのであれば、若年層だって免許返納を促される対象でないとおかしい。尚、神戸新聞によれば、アクセルとブレーキの踏み間違えは若年層でも多いという事だ。

 

資料3. 神戸新聞NEXT 

車のペダル踏み間違い事故10年で6万件、450人死亡 若年層が最多
5/18(土) 8:30配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-00000003-kobenext-soci

 

4. では、どうやって事故を減らすか

ところで、先に出した交通戦争だけど、ピーク時には年間1万人を超えた交通事故死者数がなぜ、その半分以下にまで減ったか? wikipediaからだが、次のように説明されている。

—以下引用—

交通安全施設をとってみると、公安委員会(警察)が設置する交通信号機、道路管理者が設置する歩道、立体横断施設(横断歩道橋・地下横断歩道)、道路照明、防護柵(ガードレール)、あるいは道路標識や道路情報装置など多彩なものが展開された。

(中略)

その後、シートベルト装着の徹底(2008年(平成20年)より後席着用義務化)、飲酒運転への罰則強化(および危険運転致死傷罪の新設)、チャイルドシートの義務化、エアバッグやアンチロック・ブレーキ・システムの普及、衝突安全ボディーの進歩により自動車乗車中の死者は激減した。

—引用ここまで—

資料4. https://ja.wikipedia.org/wiki/交通戦争#第二次交通戦争

 

ところで、高齢者はペーパードライバーが多いから事故率が低くでるという反論もあると思うけど、これは反論になってない。何故ならば返納をするような人はそもそも”車を使う必要性が低い人達”な可能性が高いからだ。

 

5. なぜ、狙い撃ちがいけないか

これについては、もちろん、差別やら不公平と言った大義名分はいの一番に出てくる。でも、それだけじゃない。

一部に不便を押し付ける事で、便利にする事のインセンティブを全体を有しなくなるからだ。つまり、全員が「クルマ無いと不便なのに、返納とか言われても、だったら公共交通機関をもっと充実させてよ」と感じれば、それが投票の際にインセンティブとして強くなる。対して、一部の階層にだけ不便を押し付ければ、利便性向上の声はその押し付けられた一部からしか上がらなくなる。マジョリティは「税金掛けて公共交通機関を充実させなくてもいいよ、だって、俺は車運転出来るから」となる。

人の本性はそれほどに利己的と考えるのが、僕は本当のリアリズムだと思う。

自動運転や安全技術のニーズだって求める声が多い方が開発が進み、低コストになるのは当たり前だろう。

最初に僕はモータリゼーションという便利さと引き換えに人は事故のリスクという不利益を選んだ、と書いた。でも、そのモータリゼーションの恩恵を一部の人間しか享受出来ないとしたら、それは比較衡量をする天秤としては、何か間違ってるんじゃないだろうか? だって、轢かれて事故死するリスクを負いながら運転するベネフィットには制限が加えられるとしたら、それはバーターとしては成り立ってないのではないかと思う。