日本のウクライナ支援報道が的外れだったのはドラクエかジャンプ漫画だったから

「ロシアのプーチンは狂人」と快楽殺人者的に『悪魔化』する論法は東野さん、小泉さん、池内さんに共通していますね。口裏を合わせているんじゃないかと思いたくなります。


こういうと「ロシアを正当化する親露派の工作員だ」とか池内さんあたりにレッテル貼りされそうですけど、別に私は「ロシアは正義の軍隊」と言いたいわけではなく「虐殺するにもコストが掛かるからやるからには何らかの動機がある」と言いたいです。


それは対処の仕方を間違えば彼らはより決意を固め行動をエスカレートさせる可能性の方が高いからです。何より賛同する事と動機を分析してその対策を練る事は別物です。この世の全ての問題は動機が分からなければ対策は練れない。


この点、小泉さんや細谷さんなんか巧みに予防線を張っていて「専門家の我々でも分からないのに素人のお前らにプーチンが何を考えているか分かるわけない」「庶民は半額寿司でも食ってりゃ幸せだろ」と議論を封鎖するわけです。


この議論の封鎖は先に書いた池内さんの「親露派工作員だ」のレッテル貼り・言論封鎖と併せて見ると非常に巧妙ですね。大日本帝国下の抑圧と同じものを感じます。

要するに「お前らはモノを考えずに俺たち学者に賛成しろ」って話なんですかね?


しかも彼等の巧妙な所は同時に即時停戦を唱える学者には老害、ロシア贔屓、新興宗教との繋がりを強調したりとレッテル貼りをするわけです。二つの使い分けがお見事なものです。
なおテレビによく呼ばれるのは「俺たち学者様」の側です。


ここには「学者は立派な存在で素人は口を出すなと言いながら、俺たちと違う主張をする名誉教授達はその限りにあらず」というまるで紅衛兵ポルポト派みたいな特権意識を私を感じざるを得ませんがこれを読まれている貴方はどうでしょうか?


なので、テレビが主な情報源の国民は「そうか、即時停戦はロシアを利する、日本はウクライナに軍事支援をする、こういう意見こそがチテキでアカデミックなインテリなんだ」と思ってしまうわけです。
この構造はまるで見事な手品を見ているみたいじゃ無いですかね?


とは言え、少し頭使う人は「学者なんて生き物はかつては社会主義を礼賛していたりしてよく間違える職業だ」という目で見てます。なので流石に当初喧伝していたような勇ましい戦果が上がってない時点で少し疑いの目を持って来たことでしょう。


他には常日頃から公明正大を心掛けている人は「まあ、両方の言い分を聞かないと分からないな」と中立国(インドや中東のメディア)を見たりして日本のテレビで言っている事は偏っている事を知るわけです。

 

ここで話を最初の『悪魔化』に戻します。
プーチンを『悪魔化』した延長にある議論は「ウクライナの次は日本だぞ」という謎の予言(笑)です。
そもそもNATO拡大、マイダン革命、ミンスク合意と言った過去のいざこざがあってのプーチンの侵攻なのにその議論を割愛するわけですね(おそらくわざと)。


少しでもその議論をしようとすると「ロシアのプロパガンダを代弁してる」とまた議論の封鎖に来るわけです。繰り返しになりますがプーチンの主張を正当化する事と彼らの考えを知る事は別物です。これについては佐藤優さんが正しい。


例えば日本国内で殺人事件があった時には当然に動機と背景の分析をするわけです。それは司法レベルでも民間の報道レベルでもそうです。「殺人者の言う事なんか聞く必要がない、お前は犯罪者の味方をするのか」とはならないし、法治国家でそれはあってはならないです。


何故プーチンの動機を分析させないのか? 目的は幾つかありそうですが一つ目は「ウクライナに武器支援をする事が日本の国益になる」というロジックが構築できないからではないでしょうか?
つまり中立で居ることを許さないわけです、この時点で「プロパガンダ」なのはどちらの側なのでしょうか?


そもそもロシアが日本を侵攻するメリットって何ですか?と聞きたくなります。同じリソースを使ってのメリットで言えばバイカル湖をめぐる争いで中国を排除した方がロシアにはメリット無いですかね?
https://www.afpbb.com/articles/-/3218549?cx_amp=all&act=all&_gl=1*bpj2y6*_ga*WkN2dmVsODlkU3loUDRBUzZhX0xaYzlHblBPWHJmTDVoUXlpR3dKdXBGRkFlSG5WZk9STU5VaFNORUFTLXA2OA..*_ga_E7KXCKSWLG*MTcwNjkzOTkzOC4xLjAuMTcwNjkzOTk2NS4wLjAuMA..

 

私の認識では北海道の主要産業は観光業で、農業に関して言えば他の先進国と同様に中央からの補助金で成り立っているのですが(間違っていたら申し訳ありません)。外国が武力で支配して観光業って継続できます?
私はウイグル中国共産党の弾圧下にあるという理解ですが観光地として成功しているのでしょうか?


プーチンが北海道に侵攻するとしたら「このままでは北海道にミサイルが配備されてロシアの国防が脅かされる」と判断した時ではないのでしょうか? NATOの東方拡大で感じた危機感もそうであったのではないでしょうか?


二つ目は「勇者ゼレンスキーが悪魔のプーチンを倒したらロシアは綺麗なジャイアンに転生して世界は昔みたいにお花畑で蝶が舞い妖精が泉の側でハープを奏でる天国のような世界になる、だから今は犠牲や損失に目をつぶれ」と言いたいのでしょう。よく出てくる「国際秩序」云々の論法がこれです。


第二次世界大戦後の国際秩序について言えば、終戦後すぐに代理戦争が始まり、また石油権益を巡った争いは続発し、全く綺麗な世界ではありませんでした。ただ単に核の登場で大国同士が戦争しなくなったのと同時に旧植民地国が力を付けただけの話です。


テレビ学者さんの話を聞いているとまるで第二次世界大戦が終わった瞬間に世界には秩序が誕生し、北朝鮮やイラン等の例外を除いてみんながそれを守って織り目正しく生きて来たかのように錯覚しそうになりますがそんな事はありません。


枚挙に暇がありませんが最も分かりやすい例はベトナム戦争イラク戦争でしょう。でもこの話はさせない。イラク戦争に関して言えば前にテレビ学者さんの発言を見たら「あれは酷かった(はい、この話おしまい)」みたいな感じでした。


さて、ここで彼等がどれだけ偏っているかを証明したいと思います。ウクライナ侵攻が始まって以降、「トンキン湾事件」「ソンミ村虐殺事件」「オペレーション・ベビーリフト」「ナイラ証言」「アブグレイブ刑務所の捕虜虐待」等のキーワードを彼等から聞いた人は存在しますかね? で、国際秩序って何?


こう言うと細谷さんあたりは「他にどんな例があろうがロシアの侵攻が正当化されるわけではない、スピード違反かよ」みたいに言い出すわけですが、正当化なんてしていない。
上で書いたように「第二次世界大戦後だって秩序なんてものは不完全だった」という話をしているんです。


また安保理での拒否権の濫発について言えばソ連(ロシア)に次いで多いのはアメリカです。なのにテレビ学者さん達は「このままでは安保理が機能しなくなる」みたいな話をするわけですが、まあそんなのは昔からです。


そもそもを言えば「常任理事国」という存在がもう既に不公平なわけですから出来た瞬間から安保理はそんなものだったという方が正直で誠実です。
まるで「アンポリ」という崇高な正義の騎士団達が集う円卓会議みたいなものがあったかのように錯覚しそうになりますが出来た瞬間から一貫して大国のエゴの産物です。


「コクサイチツジョ」やら「アンポリ」やらのまるでRPGファンタジー小説に出てくるような美しい世界があった所にある日突然魔王プーチンが現れて世界征服を企んでいるみたいな世界…
そんなストーリーが現実世界にあるわけないでしょう。


そもそもプーチンが死んだらロシア国民が洗脳から目を覚まして「ハ!? オレタチ ハ ナニ ヲ シテイタンダ」となるとかそんな幻想にみんな取り憑かれていないですかね? 
むしろプーチンが死んだらもっと訳の分からないのが大統領になって交渉の余地がなくなるという方が可能性高く無いですか?


国際秩序なんてものは第二次世界大戦後も不完全だったという話をここまでしました。
出来た瞬間から不完全だったものが日本が頑張った所で完全なものに昇華するとかあり得ますかね?


具体的に言えば日本が献身的にウクライナに武器やら弾薬を供与したらそれが契機となって世界の国々が「日本よ、感動をありがとう。私達は大切な物を教えてもらった。よし国際秩序を取り戻すぞ」とかなると思います? ジャンプ漫画ですか?


なので日本が武器やら弾薬やらを出す意味が全く分からないです。むしろロシア国民が「こいつら厄介だな、攻めないと背後を突かれてうちの国が危ないわ」となる可能性に加えて、いざ有事になったら日本には弾薬が足りて無いっていう可能性の方が高く無いですかね?


こう言うと「日本が自国の事しか考えないと日本が困った時にも世界は助けてくれないぞ」とまた脅されるわけです。
少し世間話をしたいと思いますが我々が日常を買い物をする時にも「買わないとこうなりますよ!」みたいな商品はボッタクリが多いと言うことは知っておいて損は無いと思います。


たまたま見つけた佐世保警察の「脅迫商法」のしおりがよく出来ているので貼っておきます。
ここの注意書きを一度読んでください。
https://www.police.pref.nagasaki.jp/police/wp-content/uploads/2015/03/42003328e49ef334ea3c4e4284b3a182.pdf

 

国際社会とやらに助けられた先例がウクライナにあるので日本がどうなるか思考実験してみたいと思います。
元芸人が強権的な国のトップになり、成年男子の国外脱出を許されず、徴兵は強要され、野党は弾圧される。けどNATO軍は参戦しない。住民は火炎瓶で抵抗。
日本もウクライナみたいに「助けられたら」こうなるんじゃ無いですかね? 違うならどう違うのか教えて欲しいものです。


そもそもNATO軍はなぜ直接の参戦をしないのですか? それをしないで「日本は核の恐れに屈するな」っておかしくないですか? 世界最強国家のアメリカが核を恐れて参戦しないのに日本が率先して「俺たちは核なんか怖くねーぜ」って言う必要あります?


いつしか言論封鎖にあいテレビに出なくなりましたが日露関係の専門家で言えば森元首相鈴木宗男さんがいるわけです。後者はまあ人相が悪いから仕方ない、笑 でも森元首相は失言も多いですが外交の現場についてはプロの意見として尊重して聞いても良いんじゃ無いですかね?(尚、人間としては私は彼は好きではありません)


ここまで少し「左側」の人達を叩きすぎたので別の例を出しますが山本太郎さんの意見を聞いてみても良いと思います。岩上安身さんもいますし、再度右を見ればチャンネル桜の水島社長や藤井聡さんも日本のウクライナ支援に疑問を呈しています。


振り返れば橋下徹さんが侵攻当初に「早く降伏をした方が良い」と発言し総叩きにあったわけですが強制的に徴兵され自国の為に戦わされるとのどちらが良かったのか一度検証する必要があります。


橋下徹さんは日頃の言動から中々発言が受け入れられないかも知れません。私も彼は嫌いです、笑
では別の人たちと言えば広島の反戦団体がこのような事を言っています。是非一度読んでみてください。私は彼等の意見にほぼ賛成です。
https://globe.asahi.com/article/14842713

 

ところで日頃は被爆者を散々持ち上げているマスコミが今回あまり彼等の意見を取り上げないのは何なんでしょうか? ここまでもう十分に長くなったので別の機会に仮説・検証(と言うほど大袈裟な物ではありませんが)を立ててみたいです。


繰り返しになってしまいますが「悪魔の狂人プーチンが美しい世界を破壊した」というフィクションが何故彼等にとって重要なのか、佐藤優さんがNHKに出ただけで「両論併記も許さねぇ」と憤るのか、もう少し考えたいと思います。


既に書いた事で申し訳ありませんが「支援を出すのが日本の国益に沿う」というロジックが成立しなくなるというのが一番大きいでしょう。日本の視聴者が「でも国内の生活も大変だし日本自身にその1兆円を超える金額を使いたい」と言うのを封じる為です。でもその先にもっと恐ろしい考えがあるのでは無いでしょうか?


ウクライナが即時停戦したらロシアが約束を守るとは限らない、ウクライナ国民はロシアを信用していない」「早期に降伏したらまた虐殺にあうぞ」というロジックがここで出てきます。


また相対化させていただきますが(彼等は相対化そのものを嫌がりますね)、そもそも全ての戦争で敵国を信用するという事はほぼ無いのではないでしょうか? 戦争とはそういうものです。相互不信の中でも手探りで少しづつ妥協点を探る作業が停戦だと私は思います。


これが中世以前の騎兵が戦っていた時代なら敵国を信用して「はい、ここで止め」みたいな例が存在するかも知れません。でも今日では多くの日本人が最高の友好国・同盟国と思うアメリカに対する戦時中の我々の感情を見れば戦争の当事者とはどんなものかと分かるかと思います。 


こう書くと「民主主義国家アメリカと権威主義国家のロシアは違う」という反論が来るでしょうが、そのアメリカが原爆投下と大空襲で民間人をブチャの虐殺より遥かに多く殺害し、戦後も数十万件以上の日本人婦女暴行があり、その為に進駐軍用の売春施設まで出来た事を考えれば何がどう違うのかよく分からなくなります。


これは事更にアメリカが酷い国だと言いたいのではなく戦争とはそういうもので、だからこそ早く終わらせればならないと言う話が私の企図する所です。
要はどの手段が最も人命を失わせずに済むかという話です。


停戦した所でロシア軍による戦争犯罪はあるでしょう。必ずあるに決まっていると私は思います。
何故ならば、2015年ですら国連平和維持活動部隊とフランス軍により戦争犯罪があったわけですから。それより軍規が緩いであろうロシアがやらないわけがありません。
https://www.afpbb.com/articles/-/3082559?cx_amp=all&act=all&_gl=1*hc9bkq*_ga*RXFhS0xxUzhqMF9yTUdDRHFsLVg1SlBiWUNVWjZDUDdlR3Q4aUtkWTZvS05Fc1VFRklpbDc4Tzd2NmNyVkVpYQ..*_ga_E7KXCKSWLG*MTcwNjk0NjQwNC4yLjAuMTcwNjk0NjQyNy4wLjAuMA..

 

でも「戦争犯罪がゼロという保証が無いなら徹底抗戦しかない」は極論じゃ無いですかね?

徹底抗戦はどこまでやるのでしょうか?


ウクライナがモスクワを陥落させるまで? −不可能でしょう。
プーチンが死ぬまで? −死んだ所でロシアが変わる保証はありません。もっと酷くなる可能性すらあります。
ロシアが諦めるまで? −それはいつですか??? それはもう停戦よりも見通しが甘くありませんか?


これはロシアの戦争犯罪を肯定する意図ではなく論点をウクライナ人の犠牲者の多寡について論じた場合に市民が火炎瓶やら毒のスープでロシア兵を殺して抵抗するのと交渉して停戦のどちらの方が死者が少ないでしょうか? そこは冷徹な比較衡量の世界です。

 

小泉さんは「侵略者にペナルティを払わせる世界にしないといけない」と言います。
でもそれこそ我々が決める話なんですかね?
加えてイラク戦争のペナルティをアメリカがいつ払ったか分からないという話を私だけでなく所謂グローバルサウスの多くの人々は思うでしょう。


冷酷な現実としてペナルティを払わせるにもコストが掛かるわけです。そのコストはウクライナ兵の人命と支援する国の財政です。「ロシアを損させる為ならどんな犠牲を払っても良い」って本末転倒じゃないですかね? 「どうやったらウクライナ人の犠牲者が少なくて済むか」「何が日本の国益に資するか」という話が一義的に来るべきであって、「あいつは悪い奴だからどんだけコストが掛かっても懲らしめてやらんと気が済まん」はちょっと違うと思うんですよね。もちろん、その懲らしめる行為が結果として日本の国益ウクライナ人の人命尊重に繋がるならともかく、既に書いたようにそれを結びつけるのは少し無理筋でしょう。


ウクライナ人がどれだけ亡くなってもロシアにはペナルティを払わせないといけない」と考えているとしたらそれこそ「悪魔のように恐ろしい」思想だと私は思います。


話がグルグルとループしてしまい申し訳ありませんが、「ロシアは約束を守らないから徹底抗戦しないといけない」は少しおかしいんじゃないかと思うのは以上に書いた理由からです。


こう書くと「いつ停戦するかはウクライナが決める事であって外野が口を出す事では無い」と言われます。
御説御尤も。同時に日本がどこまで肩入れするか、何を出すかは外国が決める事では無いとなるでしょう。


ウクライナ政府がどれだけ懸命に戦おうが日本は日本の国益で判断するという話であり、小泉さんの「義侠心ではない」には賛同しますし、更に付け加えて、どこがどう国益に資するのか「フワッとした話」はそろそろ止めにしませんか?という話なのです。


トランプ再選のリスクがあるならば様子見をすれば良いじゃ無いですか? 日本は実質的にアメリカの植民地でチェスの駒でしかない、という理屈は私は否定しません。事実でしょう。


だったら駒は駒なりに自分が得するように行動するべきだし米大統領選が終わった後におもむろに「殿! 如何致しましょう? 下知を賜りたく」で応じれば良いわけであって飼い主が変わるかも知れない時に先走って行動するのは駒という立場を弁えろという前提と矛盾しませんかね?

【引きこもり問題】ボランティア団体は適当な”役職と資格”を用意すればみんな幸せになる件

引きこもりがにわかにクローズアップされて来た。

いや、元々、引きこもり問題がある事はみんな知っていたのだが、見て見ぬ振りをしていたという方が正しいのかも知れない。ただ、例の川崎の事件や練馬の事件以降、「引きこもりを放置する事は危険だ」という認識が芽生えただけだろう。或いは、年金問題が人々の意識に火を付けたのかも知れない。その、どちらだとしても、「要は他人事で無くなった」という事だろう。

 

これについて、様々な議論が日々繰り広げられている。どうみても前向きな話ではないし、暗い話だ、そして何より解決策が無い。「死んだら良い」と思ってる人さえもいるだろう。でも、残念ながらそれは正解にはなり得ない。法治社会として論外だし、そもそも、より追い詰める結果になればより犯罪の蓋然性は高くなる。何よりも「大量に殺す」には人手がいるわけで、その人達の給料を出さなくてはいけない。「無人島に隔離すれば良い」も同様だ。引きこもりの人達を運ぶ交通費がかかる。「施設に入れる」も同様の理由で却下だ。主張してくれる人が大富豪でそのコストをポケットマネーから出すのなら、議論の余地はあるかも知れないが、たかだか、年収数億くらいだったら、こんか高コストでそもそも憲法違反の政策を提示するべきでないと思う。

では、どうしたら良いかという話になるんだけど、まず、僕はこの議論が起きた事自体はとても良かったと思う。日本という国は臭い物に蓋をしたり、或いは先延ばしする民族性のある国だ。この引きこもり問題も事件を契機としてクローズアップされただけで、前からあった事に変わりない。

 

そう、引きこもりは居たに違いない。ただ、数が少なかったし、それもバブル世代以前は就職も相対的に容易で、終身雇用が当たり前で、「仕事できなくても社内に居場所があった」という事が大きいんじゃないかと思う。2000年頃からのIT化も関係あるだろう。要は、「あんまし取り柄ないけど、この仕事だけは取り敢えず長年の勘あるから他の人より出来るし、周囲の人も安心して任せられる」的な立ち位置があったんじゃないかと、思う。なんだか、えらく口幅ったい物言いになってしまったけど、別に僕は今、例え話として出した人を馬鹿にしてるわけでなくて(僕もそういうサラリーマンだったし)、それが今までの人間社会としては普通だったんだと思う。江戸時代なんかは猫のノミ取り職人とか、厄祓いのアルバイトがいたわけで、まあ今では考えられない仕事があった。でも、科学の発展と共にそういう仕事は機械に取られて、代わりにYouTuberとか新しい仕事が出てきたわけだけど、その辺の仕事は若い人が有利で、しかも、winner takes allと言うか、少数の勝ち組を産むビジネスだ。おっさんが戦闘機について熱く語るよりも10代の見た目そこそこの女の子が新作のアイスでも食べてる動画の方が需要あるし、猫のノミ取りのように各家庭を足で回る仕事ではなくて動画をアップしたら、そこにみんなが見に来る。

更に言えば、江戸以前は自給自足が主だったから、人と会うのは最少限度でも、畑を耕してれば生きられたし(まあ、村の掟とかあるし、江戸時代の人に言わせたらそんな甘いものではないかと思うけど)、山奥なんかだと人と会わないで暮らしてる人だっていたと思う。でも、現代人に山に篭って自給自足の生活しててよ、と言ってもそれは無理だ。そしてそれは、結局、「犯罪の発生」という最初のテーマに戻ってしまう。ところで、犯罪件数は増えてるかと言えば、どちらかと言えば2014年以降の犯罪件数は歴史的な低さでバブルの頃より低いし、児童を巻き込んだ通り魔的な犯罪も親子間の悲劇も昭和の時代からあったわけで、これは無くならないのかも知れない。

 

とは言っても引きこもり問題は解決しないといけないのだけれども、ここには二つの壁があると思う。1.労働生産性と経済問題、2.個人の幸福感だ。

1.に関して言えば、犯罪を起こさない限りは経済的に負の影響はないのでは、と思う。なまじ労働意欲が湧いて、いくら合法とは言っても詐欺スレスレの営業をやったり、女性を風俗店に沈めるような仕事に関与されたりするよりかは家でゲームでもしててくれる方が、日本経済に良いんじゃないかと思う。まあ、そうは言っても何らかの生産活動には携わった方が良いとは思うので、それはまたの機会に書きたいと思う。

2.に関していえば、これはもう本人のメンタルが大きい。いくら周囲が蔑んでも気にしないくらいの鉄のメンタルがあれば本質的には何も問題ない。でも、どんな鋼メンタルの人間でも親から言われたら「あーーー」となるし、その親達は世間体を気にするし、世間は世間で「ああいう奴等がいるから俺たちの生活は苦しいんだ」と思ったりして、みんなフラストレーションが溜まるわけだ。いやまあ、本当は労働市場の供給面というかライバルが減った方が賃金の上昇圧力は掛かるんじゃないの?という気はするんだけど、人は自分が働いてる時にサボってる人間がいて、しかも、それが幸せそうだと頭にくる生き物なのはもうどうしようもない。もちろん、今の日本に人手不足の分野はある、でも、本質的にそれは賃金の上昇によってインセンティブを与えるべき話であって、世界的にも高くない賃金で無理に駆り出そうとするのは、単に経営者を甘やかしてるだけだと言った方が良いのではないかと思ったりする。

 

というわけで、結局は鋼でない当人と、親と、世間のメンタルをどうするかというのが、問題の本質だったりする。早い話が気持ちの問題だ。気持ちの問題なんだから、そこは発想一つで解決するのが一番低コストだ。無理に引っ張り出して、既に例として出した詐欺まがいの営業をされたりするよりかは遥かに良い。そもそも、人間は自らが望む事をやるのが一番生産性が高いものだ。

ところで、みんなは吉田兼好という人を教科書で習ったと思う。まあ、早い話、思い付いた事をブログに書いてて、「気が狂いそうだわ」と纏めた人だ。でも、今じゃ偉人で教科書に出てくる。諸葛亮孔明だって、まあ、そんな感じだったと思う。太公望だって釣り好きのおじいちゃんだ。僕は上で江戸時代やバブルの頃との比較を書いたけど、歴史を遡れば、非生産的な引きこもりはゴロゴロいたし、その人達が偉人になったケースもある。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶはビスマルクの言葉だ(これは誤訳という説もあるけれど)。だから、引きこもりを非難するのは実は物凄く近視眼的で明治以降の歴史しか知らないし、しかも、ここ数年は犯罪発生率が低い事を分かってない人と言っても良いと思う。

 

さて、この辺でまともに入るのだけれども、要は関係者のメンタルの問題なんだから、呼び方を変えるのはどうだろう?

みんなも少し探せば見つかると思うけど、世の中には大した仕事をしてないのにやたら肩書きが凄い人というのは割といる。あるのか無いのかもよく分からない団体の要職を複数務めたり、難しいんだか難しくないんだかよく分からない資格を大量に持っていたり、あとはやたら経歴が文学的な表現で飾られたりするコンサルタント的な仕事をしてる人は思いのほか多い。

もしかしたら、昔で言えば「軍師」「在野の士」「風流人」「志士」「浪人」そんな感じで呼ばれていた人達かも知れない。でも、現代でそんな呼び方をしても嫌味でしかない。だから、いっその事、ボランティア団体は引きこもりの人達専用によく分からないNPOを立ち上げて(「宇宙国際文化環境コンサルティング研究所」みたいなの)、まあ、一人残らず何らかの役職に付けて、簡単なマークシート試験だけで格安価格で適当な資格をあげて、それっぽい名刺を渡して、たまにインスタ映えするように、そこに所属するみんなでパンケーキかタピオカでも食べに行ったり、ホテルのコーヒーショップでビジネスミーティングをやって、あとは家でゲームしてて貰えば、みんな丸く収まるんじゃないかな、と。

だって、君の隣家の人が本当は会社でどんな仕事をしてるかなんて誰も知らないし(本当は追い出し部屋に入れられてるかも知れない)、本質的には表面さえ飾っておけば、みんなそこまで他人の事なんかに関心ないもんでしょ。

免許返納は果たして”良いこと”なのか?

ここ数年、「高齢者にいかに免許を返納させるか」の議論が盛んだ。盛んと言う事は、それがスンナリと言っていないと言う事だ。それはつまり、返さない高齢者が多いと言う事だ。では、どうしたら良いのか、それを以下、考察したい。

 

1.「善と悪」は時代の空気で変わる

世の中には「良いこと」と「悪いこと」があって前者が増え、後者が減れば世の中はもっと良くなると言うのが皆の願いと言って良いだろう。それ自体は間違ってない。そうやって人類は進歩していく”べき”なのだ。

だが、「皆が良いと思ってる事」が「本当に良い事」なのか、それとも「多分、イイコト!」なのかはしばしば見分けがつかない。時には歴史の審判を得ないと人類は正解が分からなかったりする。例えば、中世欧州の魔女狩りなんかは当時は人々の多数派が「本当に良い事」だと思ってやっていたのだろう。ナチスドイツのユダヤ人・ジプシーへの迫害もそうだろうと思う。

人々は時代の空気の中で生きている、流行に流され、雰囲気に合わせて賛同し、そしてその流行や雰囲気が変われば異口同音に過去を批判する。日本だけではない、アメリカだってそうだ。年寄りだけでない、若い人だってそうだ。子供だってそうだ。先日、僕はアメリカ育ちの若い人と話した時にそれを感じた。空気に支配される社会は日本だけでなかった。ヒカキンが宣伝すればコンビニのお菓子を子供がねだり、親が買い与える。子供が色に染まってなくて純粋無垢という事は単なる幻想だ。

最初に僕は「人類は進歩する”べき”」と書いた。それは実際は異なるからだ。ただ、ある一時点で間違った判断をして後退をしても、それを反省して前進して、その反復を繰り返して人類はおそらく進歩して行く。しかし、今この瞬間が進歩と後退のどの段階にいるかは、おそらく誰にも分からない。だから、僕達は日々話し合う必要があるのだ。面倒くさいプロセスではあるのだが、これが大事だ。

少し、前置きが長くなってしまったが、これからタイトルの件について書きたいと思う。

まず、以下三つほどデータを提示したい。

 

2.データから見る事故率と事故件数

1. 年齢別事故件数

資料1P.17にある「原付以上運転者(第1当事者)の年齢層別免許保有者10万人当たり交通事故の推移」を見てほしい。

もう、散々にネットで出ているので、皆さんご存知だとは思うが、平成29年のデータで一番事故率が高いのは10代と20代前半だ。

2. 年齢別死亡事故

これについては、よく反論されるのは「確かに若い人の方が事故率は高いが、重大事故は高齢者の方が率として高い」というものである。これについてはその通りだ。

資料2の「3.高齢運転者による交通死亡事故の特徴(1)高齢運転者による死亡事故の発生状況」を見てほしい。平成28年死者事故の半数以上が75歳以上の高齢者によるものだ。

3. 事故率の推移

以上2.を見ると確かに「高齢者の免許返納」はリーズナブルに感じる。では、ここで、過去との比較をしたいと思う。

再び、資料1.P.1を見てほしい。全体の事故件数は明らかに右肩下りだ。ところで、皆さんは「交通戦争」という言葉をご存知だろうか? これは第二次世界大戦後、交通事故による死者が日露戦争の死者を上回る勢いで増加した為に付けられた名称だが、その後の第二次交通戦争の1988年には交通事故による年間死者数は1万人を超えている。尚、2016年の交通事故死者数は3904人だ。

これについては警察庁の資料でさえも「平成28年の交通事故死者数は3,904人(前年比-213人,-5.2%)で,昭和24年以来67年ぶりに4千人を下回った。人口10万人当たり死者数は,高齢者を含め全年齢層で減少傾向にあるものの,高齢者人口自体が増加しているため,死者全体のうち高齢者の占める割合は上昇傾向にあり,平成28年は過去最高の54.8%となった(第3図)。」と認識している(資料2 (1)高齢歩行者等の死亡事故の発生状況)。

また、事故率に話を戻せば、平成29年の85歳以上事故率は平成19年時点のどの世代層よりも低いのだ(資料1.P17)。

 

(参考)

資料1. 警察庁交通局

平成28年中の交通事故の発生件数

https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/H29zennjiko.pdf

資料2. 内閣府 特集 「高齢者に係る交通事故防止」

https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h29kou_haku/gaiyo/features/feature01.html

 

3. 事故はあっても良いのか?

ここで想定しうる反論としては、「事故の悲劇と失われる命を考えれば、事故は一件でも起こらない事が望ましい」というものだ。

もちろん、それはその通りだ。しかし、人類がモータリゼーションを受け入れたという事は便利さと事故を天秤にかけて前者を選んだという事だ。交通事故を完全に無くすには車を全部無くせという極論に走るしかない。だが、それでは物流も成り立たないし、人々の生活も立ち行かない。つまり、「事故はあっても良いのか?」という問いには、「それを人類は選んだ」としか答えようがないんだ。

そうすると、次にあなたはこう言うと思う。「減らす努力をしなくても良いのか?」、もちろん、そうだ。減らす努力は常に必要だ。だが、方法論が高齢者を狙い撃ちにして、免許返納を迫るものが相応しいかといえば僕はそれは違うと思う。

既に見たように今の高齢者は10年前の若者より事故率が低い。「自信がある人ほど事故を起こしやすい」というのであれば、若年層だって免許返納を促される対象でないとおかしい。尚、神戸新聞によれば、アクセルとブレーキの踏み間違えは若年層でも多いという事だ。

 

資料3. 神戸新聞NEXT 

車のペダル踏み間違い事故10年で6万件、450人死亡 若年層が最多
5/18(土) 8:30配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-00000003-kobenext-soci

 

4. では、どうやって事故を減らすか

ところで、先に出した交通戦争だけど、ピーク時には年間1万人を超えた交通事故死者数がなぜ、その半分以下にまで減ったか? wikipediaからだが、次のように説明されている。

—以下引用—

交通安全施設をとってみると、公安委員会(警察)が設置する交通信号機、道路管理者が設置する歩道、立体横断施設(横断歩道橋・地下横断歩道)、道路照明、防護柵(ガードレール)、あるいは道路標識や道路情報装置など多彩なものが展開された。

(中略)

その後、シートベルト装着の徹底(2008年(平成20年)より後席着用義務化)、飲酒運転への罰則強化(および危険運転致死傷罪の新設)、チャイルドシートの義務化、エアバッグやアンチロック・ブレーキ・システムの普及、衝突安全ボディーの進歩により自動車乗車中の死者は激減した。

—引用ここまで—

資料4. https://ja.wikipedia.org/wiki/交通戦争#第二次交通戦争

 

ところで、高齢者はペーパードライバーが多いから事故率が低くでるという反論もあると思うけど、これは反論になってない。何故ならば返納をするような人はそもそも”車を使う必要性が低い人達”な可能性が高いからだ。

 

5. なぜ、狙い撃ちがいけないか

これについては、もちろん、差別やら不公平と言った大義名分はいの一番に出てくる。でも、それだけじゃない。

一部に不便を押し付ける事で、便利にする事のインセンティブを全体を有しなくなるからだ。つまり、全員が「クルマ無いと不便なのに、返納とか言われても、だったら公共交通機関をもっと充実させてよ」と感じれば、それが投票の際にインセンティブとして強くなる。対して、一部の階層にだけ不便を押し付ければ、利便性向上の声はその押し付けられた一部からしか上がらなくなる。マジョリティは「税金掛けて公共交通機関を充実させなくてもいいよ、だって、俺は車運転出来るから」となる。

人の本性はそれほどに利己的と考えるのが、僕は本当のリアリズムだと思う。

自動運転や安全技術のニーズだって求める声が多い方が開発が進み、低コストになるのは当たり前だろう。

最初に僕はモータリゼーションという便利さと引き換えに人は事故のリスクという不利益を選んだ、と書いた。でも、そのモータリゼーションの恩恵を一部の人間しか享受出来ないとしたら、それは比較衡量をする天秤としては、何か間違ってるんじゃないだろうか? だって、轢かれて事故死するリスクを負いながら運転するベネフィットには制限が加えられるとしたら、それはバーターとしては成り立ってないのではないかと思う。