【引きこもり問題】ボランティア団体は適当な”役職と資格”を用意すればみんな幸せになる件

引きこもりがにわかにクローズアップされて来た。

いや、元々、引きこもり問題がある事はみんな知っていたのだが、見て見ぬ振りをしていたという方が正しいのかも知れない。ただ、例の川崎の事件や練馬の事件以降、「引きこもりを放置する事は危険だ」という認識が芽生えただけだろう。或いは、年金問題が人々の意識に火を付けたのかも知れない。その、どちらだとしても、「要は他人事で無くなった」という事だろう。

 

これについて、様々な議論が日々繰り広げられている。どうみても前向きな話ではないし、暗い話だ、そして何より解決策が無い。「死んだら良い」と思ってる人さえもいるだろう。でも、残念ながらそれは正解にはなり得ない。法治社会として論外だし、そもそも、より追い詰める結果になればより犯罪の蓋然性は高くなる。何よりも「大量に殺す」には人手がいるわけで、その人達の給料を出さなくてはいけない。「無人島に隔離すれば良い」も同様だ。引きこもりの人達を運ぶ交通費がかかる。「施設に入れる」も同様の理由で却下だ。主張してくれる人が大富豪でそのコストをポケットマネーから出すのなら、議論の余地はあるかも知れないが、たかだか、年収数億くらいだったら、こんか高コストでそもそも憲法違反の政策を提示するべきでないと思う。

では、どうしたら良いかという話になるんだけど、まず、僕はこの議論が起きた事自体はとても良かったと思う。日本という国は臭い物に蓋をしたり、或いは先延ばしする民族性のある国だ。この引きこもり問題も事件を契機としてクローズアップされただけで、前からあった事に変わりない。

 

そう、引きこもりは居たに違いない。ただ、数が少なかったし、それもバブル世代以前は就職も相対的に容易で、終身雇用が当たり前で、「仕事できなくても社内に居場所があった」という事が大きいんじゃないかと思う。2000年頃からのIT化も関係あるだろう。要は、「あんまし取り柄ないけど、この仕事だけは取り敢えず長年の勘あるから他の人より出来るし、周囲の人も安心して任せられる」的な立ち位置があったんじゃないかと、思う。なんだか、えらく口幅ったい物言いになってしまったけど、別に僕は今、例え話として出した人を馬鹿にしてるわけでなくて(僕もそういうサラリーマンだったし)、それが今までの人間社会としては普通だったんだと思う。江戸時代なんかは猫のノミ取り職人とか、厄祓いのアルバイトがいたわけで、まあ今では考えられない仕事があった。でも、科学の発展と共にそういう仕事は機械に取られて、代わりにYouTuberとか新しい仕事が出てきたわけだけど、その辺の仕事は若い人が有利で、しかも、winner takes allと言うか、少数の勝ち組を産むビジネスだ。おっさんが戦闘機について熱く語るよりも10代の見た目そこそこの女の子が新作のアイスでも食べてる動画の方が需要あるし、猫のノミ取りのように各家庭を足で回る仕事ではなくて動画をアップしたら、そこにみんなが見に来る。

更に言えば、江戸以前は自給自足が主だったから、人と会うのは最少限度でも、畑を耕してれば生きられたし(まあ、村の掟とかあるし、江戸時代の人に言わせたらそんな甘いものではないかと思うけど)、山奥なんかだと人と会わないで暮らしてる人だっていたと思う。でも、現代人に山に篭って自給自足の生活しててよ、と言ってもそれは無理だ。そしてそれは、結局、「犯罪の発生」という最初のテーマに戻ってしまう。ところで、犯罪件数は増えてるかと言えば、どちらかと言えば2014年以降の犯罪件数は歴史的な低さでバブルの頃より低いし、児童を巻き込んだ通り魔的な犯罪も親子間の悲劇も昭和の時代からあったわけで、これは無くならないのかも知れない。

 

とは言っても引きこもり問題は解決しないといけないのだけれども、ここには二つの壁があると思う。1.労働生産性と経済問題、2.個人の幸福感だ。

1.に関して言えば、犯罪を起こさない限りは経済的に負の影響はないのでは、と思う。なまじ労働意欲が湧いて、いくら合法とは言っても詐欺スレスレの営業をやったり、女性を風俗店に沈めるような仕事に関与されたりするよりかは家でゲームでもしててくれる方が、日本経済に良いんじゃないかと思う。まあ、そうは言っても何らかの生産活動には携わった方が良いとは思うので、それはまたの機会に書きたいと思う。

2.に関していえば、これはもう本人のメンタルが大きい。いくら周囲が蔑んでも気にしないくらいの鉄のメンタルがあれば本質的には何も問題ない。でも、どんな鋼メンタルの人間でも親から言われたら「あーーー」となるし、その親達は世間体を気にするし、世間は世間で「ああいう奴等がいるから俺たちの生活は苦しいんだ」と思ったりして、みんなフラストレーションが溜まるわけだ。いやまあ、本当は労働市場の供給面というかライバルが減った方が賃金の上昇圧力は掛かるんじゃないの?という気はするんだけど、人は自分が働いてる時にサボってる人間がいて、しかも、それが幸せそうだと頭にくる生き物なのはもうどうしようもない。もちろん、今の日本に人手不足の分野はある、でも、本質的にそれは賃金の上昇によってインセンティブを与えるべき話であって、世界的にも高くない賃金で無理に駆り出そうとするのは、単に経営者を甘やかしてるだけだと言った方が良いのではないかと思ったりする。

 

というわけで、結局は鋼でない当人と、親と、世間のメンタルをどうするかというのが、問題の本質だったりする。早い話が気持ちの問題だ。気持ちの問題なんだから、そこは発想一つで解決するのが一番低コストだ。無理に引っ張り出して、既に例として出した詐欺まがいの営業をされたりするよりかは遥かに良い。そもそも、人間は自らが望む事をやるのが一番生産性が高いものだ。

ところで、みんなは吉田兼好という人を教科書で習ったと思う。まあ、早い話、思い付いた事をブログに書いてて、「気が狂いそうだわ」と纏めた人だ。でも、今じゃ偉人で教科書に出てくる。諸葛亮孔明だって、まあ、そんな感じだったと思う。太公望だって釣り好きのおじいちゃんだ。僕は上で江戸時代やバブルの頃との比較を書いたけど、歴史を遡れば、非生産的な引きこもりはゴロゴロいたし、その人達が偉人になったケースもある。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶはビスマルクの言葉だ(これは誤訳という説もあるけれど)。だから、引きこもりを非難するのは実は物凄く近視眼的で明治以降の歴史しか知らないし、しかも、ここ数年は犯罪発生率が低い事を分かってない人と言っても良いと思う。

 

さて、この辺でまともに入るのだけれども、要は関係者のメンタルの問題なんだから、呼び方を変えるのはどうだろう?

みんなも少し探せば見つかると思うけど、世の中には大した仕事をしてないのにやたら肩書きが凄い人というのは割といる。あるのか無いのかもよく分からない団体の要職を複数務めたり、難しいんだか難しくないんだかよく分からない資格を大量に持っていたり、あとはやたら経歴が文学的な表現で飾られたりするコンサルタント的な仕事をしてる人は思いのほか多い。

もしかしたら、昔で言えば「軍師」「在野の士」「風流人」「志士」「浪人」そんな感じで呼ばれていた人達かも知れない。でも、現代でそんな呼び方をしても嫌味でしかない。だから、いっその事、ボランティア団体は引きこもりの人達専用によく分からないNPOを立ち上げて(「宇宙国際文化環境コンサルティング研究所」みたいなの)、まあ、一人残らず何らかの役職に付けて、簡単なマークシート試験だけで格安価格で適当な資格をあげて、それっぽい名刺を渡して、たまにインスタ映えするように、そこに所属するみんなでパンケーキかタピオカでも食べに行ったり、ホテルのコーヒーショップでビジネスミーティングをやって、あとは家でゲームしてて貰えば、みんな丸く収まるんじゃないかな、と。

だって、君の隣家の人が本当は会社でどんな仕事をしてるかなんて誰も知らないし(本当は追い出し部屋に入れられてるかも知れない)、本質的には表面さえ飾っておけば、みんなそこまで他人の事なんかに関心ないもんでしょ。